昨日は首都大東京の過去問をやりました。
私の好きな鷲田清一さんの問題を二回目に選びましたが、内容は秀逸です。
「身体で感じる声」とか「ことばを意味の束縛から解放する」なんて、凄い視点だと思います。
なんとなく分かるような気がするのです。
グチャグチャに意味を込めた打算的な「ことば」が溢れているような。
一見良いことを言っているようで、身体は拒否するような「声」とか。
自分の拒否する身体を見つめることも大切だし、拒否の対象である「声」もどうしてそうなのか考えることも大切ですよね。
終盤に「心のケア」というのが出てきます。
私は「ねぎらいのことば」と考えてきましたが、親御さんで子どもを労えない(ねぎらえない)人が多いものです。
何かしら方向性や目的性を言葉に込めて、それを子どもに拒絶される。そして不毛な親子喧嘩になる。
そういう環境にいると、子どもも当然ながら親や友人を「労えない(ねぎらえない)」わけです。
ウチの塾の合言葉(あいさつ)は「おつかれ~!」です。
昔ブログで批判されたこともありましたが、私が意図するものは、もうお分かりだと思います。
ねぎらいの言葉なんですね。
スマホで読めるか分かりませんが参考までに↓