金曜日の授業で準備運動として使わせていただいたのが東海大の入試問題。
課題文は内田樹さんの「日本辺境論」
これは塾にも置いてあり、かなりの生徒に読ませてきた新書。
その中でも特に面白い部分を扱っていたので、生徒と読解を深めました。
「人が過剰に断定的にすっきり政治的意見を言うときは、それが他人の意見の受け売りであるとき」
と始まるのですが、「お~!そのとおり!」と私なんかは感じます。
「他者の意見の受け売り」を「虎の意を狩る狐」と評し、対話が出来ない融通が利かない等、具体的描写が出てきます。
現代文授業は「本文読解」ですので、ふだん拡大解釈は厳禁なのですが、この東海大入試問題は中学レベルの語句問題が8割占めているので、拡大解釈を楽しみました。
「断定的であるとき→他者の受け売り」、「自己経験から考えていない虎の威を借る狐」というところは、受験勉強においてダメな教師が結構当てはまる。
会社なんかにも居ますよね、マニュアル主義で融通の効かない「ダメな上司」とか。
生徒自身もその親御さんも、対話不在で断定的に「○○が良い(進路など)」と言い出したら、大概「受け売り」なときです。
ネットや漫画の「受け売り」、知人の「受け売り」で、学習法から進路まで「断定的な価値感」を元に頑張っていこうとする。
これが知性的でないことは明らかなんですよね。だから伸びない。
生徒や親御さんとの面談でも、よく知人やネットの意見を私にぶつけて来られますが、変に断定的なときがある。
私もネットをみてますし、巷間にあるデマ情報もチェックしておりますが、そういうことを考える前に、「自分がすばらしい情報を得た」という勘違いが「狐を虎に変えてしまう」のかな、と思ったりします。
そんなお宝のような情報、情報単体だけで価値が上がるようなものなんて存在しません。
個別具体的に「人に合わせて」いかない限り、対話や経験でもって「すり合わせ」して情報には価値が生まれます。
たとえば、塾にしかないお宝情報なんてありません。
私の経験を生徒とともに、親御さんとともに活かしていく結果が、お宝になる。
他者の経験情報を「お宝」に変えるには、かなりの知性的スキルが必要ですが、そういうものなしに単なる情報収集家となれば、ただ情報に振り回されてしまい、情報の受け手(本人、こども)に良いことなんてまずもたらされません。
良い物を買う(ショッピング)レベルのスキルで、人生の行動選択が成功する可能性は低い。だからこそ対話していく必要性があるのです。
断定的な進路指導をする担任教師に苦しんだ生徒は多いものです。
人柄はいいけど、冒険したことが無く、安定主義でその職業を選んだ人が、他者の冒険を断定的に批判することが出来るのは、「虎の威を借りる」からです。失敗したら「虎のせい」にしますしね。
長々述べていますが、私は生徒の相談や面談において、その場であれこれ考えて対話していくのですが、「断定的でない」ことがどれだけ大切か分かって欲しいな、と思うからです。親御さんも生徒本人も、「断定的な物言い」に騙されることなく、しっかりと考えてみることが大事だと思うのです。
もちろん「断定的」な意見を言うときが私にもあります。
それは経験からみて、ほぼ9割9分「ダメなパターン」であるときです。
ただ、なぜ断定的であるのかを説明できます。
狐は虎ではないから説明できない。虎は説明できる。
子どものまわりに狐は要らないのです。
虎しか良い教育者にはなれません。
現代文の授業を通して、「狐」を見破れるようになれば幸いです(笑)