当塾の小学部の国語は、はっきり言って「作文道場」です。

小学部を作った目的は二つあります。一つは、既存の塾や学校の国語に対する問題提起です。国語といっても漢字や読解ばかりのインプット重視で、アウトプット(表現力・伝達力)が全く鍛えられていないのです。

あるといっても、せいぜい夏休みの宿題で読書感想文を出す程度であり、しかも文を作る技術をしっかりと教わっているわけではないのです。これじゃ大学受験で小論文が書けないのも仕方がありませんよね。

また、日記を書くという宿題がありますが、そもそも日記というのは人に読まれるのが前提じゃないでしょう。「日記」というテーマに良い悪いという採点をする行為自体が、教育的に間違っていると私は思います。担任に見せるために書くのなら、せめて「報告書(交換日記)」とやってもらいたい。それならば、良い悪いもつけようがあると思います。

塾では、書いた作文はスキャナーで取り込み、電子黒板で一人ずつ採点していきます。本人の希望もあり、ほとんどが匿名なのですが、そこは小学生、採点中に自分でばらしていきます。

また、採点基準については、小学部設立の目的と重なります。それは「論理的思考」を培うというものです。

学校の宿題をやっているだけでは、静岡の子は論理的思考は育まれないのが現実です。日々、学校や家庭でディスカッションをするわけでもなく、「先生の言うことをただ聞けば良い」という考えが一般的に強く、実際大学受験の苦悩を見れば、「素直すぎてダメ」なことがかなりあるわけです。問題意識が希薄であったり、批判精神が弱かったり、小論文を書かせるととても幼稚な内容を書いてしまう高校三年生がたくさんいます。

当塾の作文の採点基準に話を戻しますと、「論理的思考」を培う目的で行いますので、「誰が」「何を」「どこで」「どのように」「どうした」という構成点を中心に、独自の表現や比喩を評価しつつも、一般的にどう書いたらいいかアドバイスをします。

それを聞いて生徒が、今日もそうでしたが「それ良いな!」と言うんです。自分の言いたかったことを、原文を最大限尊重しながら「分かりやすく」表現してあげるんです。そうすると皆、かなり興味を持って取り組んでくれます。

ダメだしはしません。よく親御さんが「ウチの子は作文がダメで!」と言うのですが、私としては得意な子をあまり見たことがありませんし、また得意になるための練習もしていないのだから当然なことと考えていますから、「不要なダメだしだな」といつも思っております。

最初から上手な子を求めたら、教育じゃないんです。いかに楽しく促すか、目標や成功体験を与えるか、そういうことが小学生ですととても重要なことなのです。

そして、作文においては「公開」が大切なことだと考えております。人に見てもらう、人がどう思うのか、こういう感覚が大事なんですね。たとえば、私がこれを書いているのは、自己満足ではなく生徒のご父兄さまの理解を求めて書いているわけですが、他塾の先生や生徒、見知らぬ人については少々考慮してはいますが、基本的には無視です。

誰に向けて書くのかが「作文」の大事なポイントだと思います。自分が伝えたい相手は誰なのか、何を伝えたいのか、それを深く考えて、そのために必要な表現力や構成を四苦八苦しながらも学んでいくのです。

分かる人は分かると思いますが、これは大学受験でも就職試験でも、そして将来の仕事でも貴重なスキルとなる学習です。

少なくとも、ただポケーと漢字を覚えることよりも、これが頭に栄養を与える「生きた学び」ではないでしょうか。

最後に、こういう指導は、大手や素人学生、片手間のおばさまがシステム式にやれる教育ではありません。誰が教えるのかが重要なのです。そして、それを理解してくださる親御さんの協力が欠かせません。

どこぞで一斉テストをやるようですが、あれをやっても生徒の何が計られるのか疑問で仕方がありません。当然ながら、自分の子にも塾生にもお勧めはしておりません。

画一的で横並びの比較で子どもを捉える限り、子どもの内にある可能性や創造的個性を育むことはできません。そして、精一杯勉強しても、清水東に行っても、静大すら受からない悲劇が一般的には多数見受けられます。

周囲の大人が、先行き不透明な「勉強が出来ること」にこだわり、「頭を良くする」ことを考えていないことが、有名大学進学の可能性を子どもから奪い、作文も書けない三流大学生にしていると私は思います。

自分の考えや思いを他者に伝える「作文」。本来、小学生にとってこんな面白い知的作業はないはずです。

 

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Categories: 小中学部

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