今日の高校現代文講座では、法科大学院の適正試験を使い、生徒各自の「論理的思考力」を試してみました。

参考サイト:日弁連2013過去問

 

数1Aでやってるはずなのに「対偶」を使えない生徒がかなりいるものですが、今年の高校生はなかなかデキが良いようです。

 


 

「対偶」――ある命題 「p → q」 ( p ならば q ) が真(正しい)のとき、その対偶 は真(正しい)であるが、逆や裏は必ずしも真(正しい)とは限らない。ある命題 「p → q」 ( p ならば q ) とその対偶とは真偽が一致するので、対偶の真偽を示せば元の命題の真偽が示せる。

 


 

論理的な思考力については、「じあたま」や先天的な資質はまったく関係のないもので、後天的・環境的に養われる力(スキル)です。

本日このような問題を8問ほどやり、新人二人が満点をとり私を驚かせましたが、満点をとった科技高生T君本人が授業の後、「お父さんがよく論文みたいなのを見せて、それを読んでどう思うのか質問してくることがあって、それで鍛えられていたみたい(笑)」と言っていましたが、素敵な「親の論理教育」だと思いました。

一般的には、論理的なセンスは父親が担当し、母親が情緒的なセンスを担当するような感じでしょうか。情緒豊かなお母さんであっても、母親ばかりが子どもの学習に関与すると、お子さんの「論理的思考」が弱くなってしまうような気もします。何かしら本や大人からの「論理的素養」を刺激として受けていないとこのセンスは養われないものです。それゆえ塾では積極的に指導しているわけです。

さて、論理的思考が弱く、暗記重視な受験生は、大学入試でかなり伸び悩むものです。現代文や英語、そして数学などでそれは如実に現れます。学習時間をどれだけ増やしたところで、暗記した事柄を組み立てたり、その事柄の関係を理解できなければ有名大学は受かりません。

学校の勉強の限界の一つが「論理的思考を養成する機会」の少なさにあるような気がします。

人間の多角的な成長すべてを薄っぺらい「教科書」や学校の「指導要領」に落とし込むことは無理だと思います。

 

 

 

 

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