当塾に入ると、生徒は「やる子」になります。

当然ながら「やらない子」がやるわけですから状況はかなり改善されます。

しかし、生徒の最悪な状況は脱してはいても、生徒はそれぞれ異なる「壁」の段階にあり、ここで苦しむことになります。

当塾は入塾制限がありませんので、上位層もいれば成績低迷層もいるのですが、低迷層に如実なのは「記憶力」と「思考力」の弱さです。

たとえば、テストの点を聞いて「忘れてしまった」なんて言うのは、できない子特有の症状です。

ある意味「嫌なことは忘れる能力」が強いのかもしれませんが、「記憶」の個人差が中学生にはかなりあると思います。

小さい頃から、神経衰弱をやったり何かしら「覚える遊び」をしたりしてる子は当然「記憶力」は強いものですが、何も手を加えず学校の宿題やら子どもチャレンジやらを素でやってきた子は、小学校低学年の頃のお母さんの叱責やため息などのマイナス要因で伸びを止めてしまっているものです。

「記憶」や「思考」と子どもごとの「差」をしっかりと見つめて、ただ規定どおりの画一的な勉強をやったとしても、「個人差」というのは埋まるものではなく、むしろ開いていく一方だと思います。

さて、学校の教科書や進度については、ぶっちゃけ「どうでも良い」と思うぐらいが私は良いと思っています。良い大学に現役で進学する意義などなく、30歳も31歳も何ができるかが大事であって、年をとればとるほど「横の比較」なんてなくなります。

中2でできない子は、何も気にせず中1の単元をしっかりとやればよく、それでも最後には清水西や桜ケ丘なら十分受かるんです。高校生なんかも、高2で数学ができない子も一から数学をやれば良いんですね。

塾でじっくり何度も何度も数1Aをやった科技高生がセンター試験で満点をとり、早いばかりで実力スカスカの清水東の生徒が負けてしまう。

「横並びの比較」で子どもの可能性を喪失させる状況を、実際には世間の親御さんが作っているような気がします。

「公立高校に進学」という目標であれば、じっくりと記憶力を養成し、考える習慣をつけることで容易に叶うものですが、不安と焦りが先行して「強制的な介入」や「ダメだしの連発」などで子どもと対立してしまうことも多いような気がします。

「やればできる」状態から「やってもできない」状態に移行した時、生徒は凄まじいストレスを感じます。辛くてつまらない状況の中、瞬時にできるようになる「魔法の杖」を親子で求めたり、ストレスを増加させるだけの叱責を行ったり、子どもをダメにしてしまうタイミングというのが待ち構えています。

当塾で「伸びた生徒」は有名大学に進学していますが、皆「伸び伸び」とした環境の中で、親御さんの予測を良い意味で裏切ってるんです。一方で、伸びない生徒には「母親(父親)の積極的介入」というのが高3まで続き、負のスパイラル現象のように足かせとなります。

親や塾、そして学校の強制力を使わずに、いかに「できない子」を「できる」ようにしていくのかはホントに難しいことだと感じていますが、各自が「自分の壁」をぶち壊せるように自発的に学習していける環境づくりが大切だと思います。

ただ、親御さんがどれだけ素晴らしいスタンスで見守ってくれていても、「ダメな子」というのはおります。消費生活(ゲームや漫画)に夢中になり、親に甘えるのが当たり前で、「自主性」に乏しい子たちです。

こういう子については、先天的な性格であったり環境要因があったりもしますが、学習とは別の「叱責」や「気付き」が必要な場合が多いものです。問題は学習行動にではなく生きる姿勢にある子たちですから、そこを変えて行くプロセスが重要です。

長くなりましたが、この辺で。。。

 

 

 

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