塾では、学校で行われる「いじめ」の実態がかなり詳細に伝わってくるものです。
そして塾生には「いじめ」に加担しないことと、「被害者」になったらすぐ私に報告するように言っております。
過去、私が昼の行政書士業務で介入したこともあります。学校の対応が悪い場合に、学校など無視して加害者側に民事的責任を追及し、慰謝料をいただいたこともあります。公にすることなく、迅速な問題解決に繋がりました。
ですから、生徒には人を侮辱した場合の怖さ、暴力をふるった場合の責任など、「子ども世界の無法状態」について早い段階から話をするわけです。
学校の対応は昔からあまり変わりません。大事になることを嫌い、「子どもだから」と理想的な世界を元に、楽天的に構える先生が多いような気がします。
他人を自分のストレス発散のために侮辱したり攻撃することについて、私は自分の子に「絶対やってはいけないこと」と厳しく教えていますが、それが分からないバカな子は多いようです。塾でそういう子がいた場合でも、厳しくそれを教えることで変わることが多く、結局学校で真剣に教えていないのでは?と思うことがあります。
私の子はバカにされやすいのか、昨年かなり執拗にバカにされ、とうとう頭にきて相手の子の首を絞めて、学校全体の問題となりました。私は「首を絞めること」について、かなり長男を厳しく叱りましたが、泣きながら積み重なった「怒り」を吐露する我が子を見て、相手側の侮辱責任をほとんど追及しない学校について、かなりの不信感を抱きました。
結局、ウチの子は反撃する道を選びましたが、そうでない子はどうなるのだろうか?と私は考えます。それが「自殺」という最悪な結果なのではないか、と。生徒からの話で、不登校の子が多い現実や、いじめの実態など聞くにつれて、昔よりも陰湿な「子ども世界のゆがみ」を感じたりもします。
宿題やスポーツ、習い事、そして親からのストレスなどで、昔はなかったような過度のストレスを子どもらが抱え込み、そのはけぐちとして同級生のだれかを探しているような状況とも言えます。
最近は宿題も多いですね。学校での学習というよりも、家や塾での学習が今後を決めるような状態になっていますし、小学校はまだしも、中学校となると、先生ごとの指導力の差は激しく、テストのたびに「塾がなかったらどうするの?」と思わずにはいられないのが現実のありさまです。
そもそも何のための宿題なんですかね。何のための習い事であるのか、何のためのスポーツなのか。小さいころから英語をやっても、静岡ですから大した子なんていないんです。野球をやろうがサッカーをやろうが、プロどころか中学レベルで挫折し自信をなくす子なんていくらでもいます。夢を持たせた結果、その夢につぶされている子がたくさんいますよね。
私は部活や習い事について、「生きる道」に繋がらないのなら何の意味もないと思っています。生徒に言いますが、「趣味で威張る奴は消えてしまえ」と趣味の自信でふんぞり返ってる子を諭します。
人を侮辱しない、下手な子をバカにしない。これが大切な「みんなで生きる道」であるのに、スポーツバカな子はそれを教わらない。指導者が、趣味で自信を持ちふんぞり返っている「型」を真似ていることが多いものです。
今私は、公民館で空手を中心とする「護身術教室」を開講しておりますが、「人を侮辱しない、下手な子をバカにしない」という空手道場がないため、自分の子や生徒のために開設したものでもあります。そして何より、他者から攻撃されたときに、生徒も自分の子も、安全に逃げて欲しいと思っているからです。
最近もある私学の生徒対応で信じられないことがありました。私は学校という組織を根本的に信頼してません。当塾生が「いじめ」の加害者でも被害者でもなく、「人の役に立つ道」を必死に探求してくれることを願っております。
私の意見は以下の三つです。
1.塾ではいじめは許さない
2.現在の子どもたちには心の余裕がない
3.思想の弱いスポーツ活動ならそこはいじめの温床
参考になれば幸いです。