一昨年ホームページが消失してしまい、アップすることができなかった「合格体験記」をアップします。

清水三中の2年生の時から塾に通い、清水東に入り部活に精を出しながら、現役で名古屋大学に合格した生徒のお母様の「体験記」です。


 

 

塾選び
そろそろ塾にと考えたのは、娘が中学1年生の12月であった。まずは名が知られているS英の冬期講習を申し込んだ。3日間で7000円弱だったと思う。高いと感じつつもしっかり教えてくれるだろうと思っていた。そして冬期講習初日、娘を校舎まで送った際に微妙な違和感を持った。生徒をお客様扱いしていると感じた。何かすっきりしないまま冬期講習が終了し、一応娘に「S英に通う?」と聞いてみると「いや」と言った。もうすぐ年末、ここから本格的な塾探しが始まった。
清水の塾事情はよくわからないのでインターネットで調べた。数ある塾の中で『進学塾Zest』を見つけた。ホームページを見ると塾長の理念が書いてあった。生徒に厳しいことを言っているが、面倒見が良さそうだと直感で感じた。生徒をお客様扱いしないところや自転車で通えそうなロケーションも気に入った。さっそく下見に行き、ここなら自分で通えることを確認、塾長に「ホームページを見たのですが・・・」と電話をした。年末だったため、年明けから1ヵ月ほど体験入塾させていただけることになった。

入塾から高校合格まで
年が明けて中学1年生の1月から塾通いが始まった。初日は何故か私も一緒に英語の授業を受けた。塾全体に活気があり、厳しくも楽しいという言葉がぴったりだったと思う。娘も「通いたい」と言った。
中学3年生の夏休みはほぼ毎日、午前・午後・夜と塾に通っていた。家にいる時間の方が短いのではと思うくらい、本当によく通った。また、学校の成績も安定していたので、志望校を清水東高校に決めた。難しい年齢で少々不安定な時期もあり塾長や先生方に心配をおかけしたが、熱心にご指導して下さったおかげで無事、清水東高校に合格した。

高校入学から休塾まで
高校合格直後から引き続き塾に通った。清水東の勉強は大変と聞いていたが(進学校はみなそうであるが)、本当に大変そうだった。しかも、部活は中学の時から続けているソフトテニス部に入部した。中学の時とは運動量も練習内容も比べものにならない程ハードなため、毎日疲れきっていた。学校から帰宅すると夕食もろくに摂らずに塾へ行き、夜11時過ぎに帰宅、それから学校の宿題、就寝は午前1時過ぎだったと思う。食がだんだん細くなり娘が日に日に痩せていくのがわかって、胸が締め付けられる思いだった。そして高校1年生の2月、娘が体調不良を訴えた。精密検査の結果が出るまで部活も体育の授業も禁止であった。
3月に入って娘が急に「塾をやめたい」と言いだした。理由は定かではないが、健康第一と考え塾長に電話をした。良い塾を見つけたのに少々残念だと思いながらやめる旨を話したところ、「部活を引退したらまた塾に通いたくなるだろうから、休塾ということにしますよ。」と言って下さった。とてもありがたかった。このような場合少なくとも大手なら、「では、退会の手続きを致します。再度入られる時は改めて入会金が必要になりますので、ご了承下さい。」などと事務的に言われたであろう。(あくまでも推測)娘に休塾のことを話したところ少し笑顔が見えた。

塾に復帰からセンター試験まで
幸い精密検査の結果は問題なく、元気に部活三昧の日々を送っていた。その間学校の定期テストや模試が数多くあったが、成績は全く知らなかった。志望校は1年生の時から名古屋大学だった。高校2年生の7月の面接時に、「このままだと山梨か福井だぞ。名古屋に行きたければ学年で40番以内に入らないと。」と聞かされた。理想と現実はだいぶ乖離していることだけは分かったが、不安や焦りは無かった。そして高校2年生の3月、塾に復帰し高校3年生の6月、部活を引退し本格的に受験勉強が始まった。
夏休みは学校・塾・家を1日に何往復もして勉強し、夜は遅くまで部屋の明かりがついていた。10月か11月あたりから娘の表情が明るくすっきりしてきて、塾に行くのも楽しそうであった。11月下旬、偶然お会いした塾のI先生(副長)に娘の様子を聞いてみると、英語と数学が伸びてきたとおっしゃった。模試の判定もいい感じになってきたらしい。(随分呑気な親だと思われても仕方ないが…)センター試験まで2カ月切っている。私にできることは何でもやろうと思った。
年が明けてセンター試験が近付くと、娘は隙間時間を有効活用し、規則正しい生活を送るようになった。幼児の妹とも時間を決めて遊んでいたので、受験生特有のピリピリした感じにはならなかった。センター試験当日には家族揃って会場まで送った。2日目には受験票を家に忘れるというハプニングがあったが、冷静に対処し事なきを得たようだ。

出願と推薦入試
センター試験の自己採点は82%の得点率であった。名古屋大学のボーダーラインである。センター試験の2日後、突如名古屋大学工学部のセンター利用の推薦入試の話が持ち上がった。前期試験まで1ヵ月、皆が試験に向けて勉強している最中、志望理由書の作成に多くの時間を割くこととなった。自ら塾長に相談し、塾長は渾身の指導をして下さった。一人の生徒をここまで見てくれる塾は他に無いと思う。娘も夜遅くまで一生懸命取り組んでいた。推薦入試の願書提出締め切りは1月20日、19日午前中までに郵便局に持っていけば20日に間に合うことを確認し、ギリギリまで頑張った。
学校では、センター試験の結果を踏まえ出願校を決める面接があった。センター試験の判定はCでボーダーラインよりわずかに上であった。2次試験の判定はDやEといった文字が並んでいる。「推薦は、全国大会出場とか何か勲章がないと書類選考通過は非常に厳しいし、仮に書類が通っても面接は厳しい。面接対策するよりも2次試験の準備をしたほうがよいと思う。」と学校の先生はおっしゃった。名古屋大は微妙なので、「横浜国大か筑波大という選択肢もありますが、どうしますか?」と聞かれた。パソコン画面上のC,D,Eの文字を眺めつつ、「このままで(名古屋大で)お願いします。」と答えた。出願に全く迷いはなかった。何故か不安も無かった。結局前期が名古屋、後期が静岡とした。
家に帰る車中に娘が、「Cっていっても+だよね。名古屋でいいよ。」と言った。何てプラス思考なのだろう!娘が頼もしく思えた。これなら大丈夫と思った。(実は横浜国大、筑波大は最初から受ける予定はなく願書を取り寄せていなかったので、どちらかにと言われはしないかと心中穏やかでなかったのである。)

書類選考通過・面接試験
推薦入試出願後は2次試験の対策をしていた。塾では、理系を選択する生徒が娘だけであったため、数学、物理、化学を教えてくれる優秀な先生を紹介してくださった。家では、もしかしたら通っているかも…の時のために、志望理由書作成時に引用した本を購入した。面接書類選考の結果発表は2月3日。届いたレタックスを恐る恐る開封すると「おお~あった!」。書類選考は通過した。塾長が「これで落ちたらセンターの得点が原因だよね」という程指導していただいたのだ。
面接試験は2月6日。集合時間が午前の早い時間帯だったため、前日に名古屋入りすることになった。宿泊の予約、新幹線回数券の購入、家族全員分の荷造りで慌ただしかった。残された時間は少ない。塾長による怒涛の面接対策指導を受けていた。また宿泊先にパソコンを持っていき夜遅くまで頑張っていた。試験当日は雨、地下鉄で名古屋大学駅まで行ったら、名大生が試験会場まで案内してくれすんなり到着。会場入口で娘を見送りひたすら待つこと4時間、「終わったよ」とメールが届き合流。娘は明るい顔をしていた。名古屋駅で遅い昼食を摂り帰路に着いた。

名古屋大学工学部合格!
結果発表は2月8日。やるだけのことはやった。午前11時過ぎレタックスが届く。あ~どうしようと言いながら、合格者の受験番号が印刷された紙をチラチラ見ている。「お?おお!ある~!やった~」合格した。確かにそこには娘の受験番号が載っていた。私は「よく頑張ったね」と言いつつ涙した。本人も頑張ったが塾の指導によるところが大きい。模試の判定はDやEが続いていたかもしれないが、高校1年生の時から志望校は変えていない。ある意味〝初志貫徹〞である。娘は早速塾に連絡していた。

おわりに
娘は合格後も引き続き喜々として塾に通っている。大学の入学式前後にクラス分けの為の英語の試験があるからだ。塾長は試験対策に良い参考書を教えて下さった。改めて面倒見の良い塾と感じた。こんなきめ細やかな指導はZestならではとつくづく感じた。
高校の成績は結局どの位なのか分からなかった。(普通はありえないだろう)しかし、娘の顔を見ていたら、喜々として塾に通っている姿を見たら何も心配いらないと思った。出来ることはやって後は見守るだけだった。名古屋大学に合格したのだから、きっと40番以内だっただろう。(推測の域を出ないが。以前、旧帝大に合格したければ40番以内に入ることと聞いたので)
今娘は新生活に向けての準備や部屋の片付けをしている。山積みされた大量の教科書や参考書、ノートを見て私は涙が止まらなかった。娘はしっかりと勉強してきたのだ。真剣に勉強してきたからこそ真剣に向き合ってくれる塾に出会うことができ、熱心な先生方の元で勉強に励むことができた。そして合格を手にすることができたのだ。
『進学塾Zest』は本気で志望校に合格したい、本物の学力を身につけたい生徒に惜しみなく力を貸してくれる。厳しくも楽しい授業、面倒見の良い塾、生徒に真剣に向き合ってくれる先生方、そして合格に導いてくれる渾身の指導、これらは娘を中学から通塾させて私が実感したことである。実際に体験してみなければこの感覚は分からないであろう。
幸運にも娘は名古屋大学に合格することができた。それは紛れもなく、熱心な塾長、池田先生はじめ諸先生方、切磋琢磨できる素晴らしい仲間がいたからである。感謝の言葉が尽きない。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

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